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愛は重荷

恋を語る詩人になれなくて。

西野七瀬の表情のつくり方、そしてわたしは才能ってものを知る。

基本的に私は「才能」という言葉を信じてない。才能とかいうぼんやりした表現の背後には、何があっても続けるという継続的な努力、誰もが見過ごすことをめんどくさがらない丁寧さ、そして素直に人の言うことをきく柔軟性、そんくらいのもんしかないと思っている。むしろ才能なんて言葉に頼るから凡人になるのであって、ほんとうの才能はその才能を因数分解できることにある。と思う。

思うのだけど、西野七瀬さまを見ていると、「才能」としか言えないものの存在を知る。努力とか素直さとか丁寧さとか、関係ない、圧倒的な、センスあるいは才能。普通の人がどうやっても醸し出せない何か。これを人は才能と呼ぶのかと私は思うことになる。

西野七瀬の何が天才って、その表情なんだよ表情!!!!!!!

 

いいですか、この世に笑顔がきらきらしたアイドルはごまんといますよね。みんな自分がアップになる瞬間、カメラに抜かれる瞬間に命を懸ける。ウインクしたり横目流したりああもうかわいいのなんのって。自分がいちばん可愛く見える表情を彼女たちは知り尽くしているし、それが職業なのである。思いっきり笑顔。その可愛さを私たちはうっとりと見つめる。

だけど西野七瀬のアップは別格である。正直、西野七瀬よりもかわいいアイドルはたくさんいるのだけど(横にいる白石麻衣ちゃんなんてその最たるものだ)、西野七瀬の表情の作り方を超えるアイドルはなかなか見つからない。まぁまずは見てください。

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この1:27をご覧くださいませ!!!!!

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て、天才じゃないだろうかこの表情。笑ってるのでもなくシリアスなのでもなく。この顔ができるから彼女は西野七瀬であり、この表情の作り込みこそが彼女を西野七瀬たらしめているのである。

はい次。

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このウインクですよウインク!!!!!!!!! 星が、星が飛んでる。星が見える。

 ウィンクで星が飛ばせるかどうかって……才能っていうか……才能としか言えないでしょう……西野七瀬のウィンクはただのウィンクじゃないのだよ!!!!! 天才なんだよ!!!!!!

そして表情のあざとさ。目線の使い方がうまいのと、「なんとなく切なげ」っていう表情がうますぎる。「どうしたの?」ってこっちが言いたくなる表情。

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踊ってるときにもこの目線を使う西野七瀬……。

西野七瀬さん、あざとい表情の作り込みが半端じゃなかったな… pic.twitter.com/p2O7qX8ckx

— ぱんぱかマーチ (@panpaka_march) 2016年12月31日

 

笑顔がかわいいのがアイドルの条件。だけど西野七瀬はそれを超えてくる。

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必須条件の枠を超えることが、才能の正体なのかもしれない。

SKE48が好きすぎてつらいし、彼女たちのしあわせを私はずっと願ってるよ!!!

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ああああもう愛してる! ほんっとーに愛してる! かわいいは正義!!!

私がこよなく愛するかわいいかわいいアイドルたち。みんなほんとうにかわいい。アイドルがこんなにいっぱいいてくれる時代の日本に生まれたってだけで私はラッキーだ。心底思う。愛してる! AKBグループも乃木坂もハロプロも、みんなかわいくてきらきらしてる女の子は、正義。生きててくれてありがとう! 元気を分けてくれてありがとう!

中でも一番ハマったのは、SKE48のみなさん。ほんっと~~~にね、みんなね、かわいいんだよ。そしてがんばってるんだよっ。ストイックな努力家が多くて、未来への戦略を見据えて全力でアイドル多くて、そこが好き。

 

きっかけは、松井玲奈ちゃんだった。何がきっかけだったのかは忘れてしまったのだけど、松井玲奈ちゃんのストイックな姿勢と頭のよさと透明感が、すっごい好きだった。ちょうど卒業シングル「前のめり」が発売される頃で、ほんとうにほんとうにそのPVや歌番組の衣装が似合ってて、曲もよくて、ハマりきってしまった。かわいい。ほんっと~~~~~に。

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かわいいよねぇ。歌番組で見せる一瞬の表情にこめる目力も大好き。AKBの子たちのテレビでアップになる一瞬にこめるあの熱意がほんっと~~~~に好き。テレビ越しに自分史上最強の笑顔を見せてくるあの感じ。プロだ、といつも思う。

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んで、そのあとにSKEの映画を見た。

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AKBという仕組みは、ファンになる前から傍から見ててなんてグロテスクなことするんだと思っていた。私はかわいい女の子が心底好きだけど、彼女たちが搾取されてるとも心底思っていた。かわいい私を認めてもらうために、こんだけ握手して、辛い時にも笑顔を振りまいて、そのうえ、順位まで付けられるなんて。しかもその順位の基準が、「人気」だなんて不明確この上ないものだなんて。グロテスクだ。何がグロテスクって、その順位をつけるパフォーマンスが「面白い」からグロテスクだ。彼女たちがその背後にいる大量の大人のファン、大人のスタッフに仕立てられた舞台の上で、泣き叫ぶことが面白くて、とっても刺激的なエンタメで。

彼女たちが一級のエンターテイナーなのは、その細くて華奢な身体をぜんぶ預けて順位や人気に一喜一憂するからだ。その切実さを人は楽しむ。切り刻まれるようなつらさがあってこそ、AKBの仕組みが成り立つし、そこにお金の循環も生まれる。彼女たちはその傷と、その傷を背負った笑顔をもってお金を頂く。それこそが仕事なのだから、グロテスク極まりない。

だけど同時に、切実に切り刻まれながら戦って、働いて、生きてるのは、なにも彼女たちだけじゃない。私たちだってみんな戦っている。職場や学校や家庭で、それぞれの場所で。負けないように。もちろんその痛みや背負うものは人によって違うし比べようもない。あなたのすべてを痛めるくらい痛いのならば、それはもう世界一痛いってことだ。基本的につらさは主観的でしかなくて、私たちはそれぞれ自分の持ち場で精一杯戦って生きてくしかない。

その時、私たちはアイドルの涙に励まされる。「ああ、戦っているのは私だけじゃないんだ」って彼女たちの涙を見ると、思う。私よりもよっぽど華奢な肩を震わせながら、公衆の面前に晒されながら、彼女たちはその傷みを全身で受け止める。順位が下がったこと。選抜に入れないこと。理不尽に曲をもらえないこと。彼女たちのぜんぶがかかったAKBの舞台で、致命的なまでの傷を負う。もちろん、彼女たちの人生の中でアイドルの舞台がすべてじゃないことは大前提なのだけど、それは外から見てるから言えることで。私たちだって、職場がすべてじゃないことは知ってるけれど、だけど職場でがんばることがその時の私にとってはすべてだったりする。要はその人にとっての切実さの問題。

そしてアイドルの涙を見ると同時に、アイドルの笑顔にも、つよくつよく励まされる。精一杯の笑顔。あなたに元気になってもらうために、お客さんに楽しんでもらうために、自分がもっともっと輝けるために、彼女たちは舞台の上でカメラの中で笑顔をキメる。その笑顔を見て、ああ私もがんばろうって思う。

 

この「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」という映画を見たあと、一番ふと心に残ったのは、それまで名前を知らなかった矢神久美ちゃんという女の子の涙だった。

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矢神久美ちゃん、通称くーみん。この映画のあと異常にファンになった。今は名古屋でタレントさん。美人かつ天才。twitter@yagami_kuuですよ。

 

紅白初出場の前の練習で彼女がとっても美しい泣き顔で、「自分でがんばってるって言ったら、終わりだと思うんだ。がんばってるって自分で決めることじゃないじゃん」って言うシーンがあって。わかりますかこの姿勢!!!!!! そうなんだよ、みんなそりゃがんばってるんだけど、でも私がんばってるしって思ったらもう終わりなんだよ、それで終わらせたら、満足してしまったら、それ以上にはいけないんだよ~~~~~っ。もう、ほんとに、号泣してしまった。

(そのあと本番が終わったあと「切り替えなきゃ」って言うくーみんの美しい笑顔……みなさん映画の1:20:03あたりをご覧下さい……死ぬほど美しいから……っていうかくーみんの清々しい笑顔の美しさってなんなのか。)

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アイドルってたぶん「がんばってること」自体がその職業の内容に含まれているというか、がんばってることを応援することがファンのひとつの楽しみになってる。けど、そんな自分たちに甘んじてたら、紅白っていうプロのパフォーマンスさんたちの舞台に並んで立つことはできない、っていうことだと思うんだ。うう、今見ても泣けてしまう。そしてそれはアイドルと違って観客のいない私たちに常に語りかける。私は、彼女たちくらい、がんばってるのか? って。美しいし格好いいよね、だれかががんばってる姿は。

 

SKE48のかわいい女の子たちは、たくさんの卒業生を見送りながら、そしてその卒業生の活躍する背中を見ながら、今もきらきらした笑顔で歌い踊り続けている。

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私は女だけど、きっとずーっと彼女たちのきらきら感に恋してる。かわいい女の子は正義だ。彼女たちががんばることに、ずっとずっと励まされてる。それがたとえどんな方法であっても、自分がもっと輝けるように、もっともっと上に行けるように、って自分に正直にがんばる女の子が私は好きだ。そのグロテスクな舞台を超えて、彼女たちが自分のなりたい自分になれることを、幸せだって思う景色に辿り着けることを、私はずっとずっと祈っている。

 

akb48video.blog.jp

いちばん好きなPV。みんな可愛すぎ。

批評は面白くなり得ないのか? ――シンゴジラとファンタビの『ユリイカ』について

新しいユリイカが発売された。シン・ゴジラと、ファンタスティック・ビースト(およびハリーポッターシリーズ)について。シン・ゴジラは少し値段が高かった。増刊号ということで分量が多かったからだろうか。そのぶん目次が赤かったりしてかっこよくはあった。

シン・ゴジラ』も『ファンタスティック・ビースト』も、面白く見た。というか、かなりワクワクする類の面白い映画だった。何度も見たくなるような伏線、細部まで凝ってある仕掛け、勢いのある俳優陣……まさに終わった後に「語りたくなる」映画たちだった。見た後に友達と「あそこがよかった」「ここがよかった」と語ったし、SNS上で繰り広げられる感想や二次創作の繁栄っぷりも楽しかった。

ユリイカが、このふたつを特集したと聞いて、楽しみにしていた。これらの映画の仕組みを、もっと知りたい。これらの映画について、どんなふうにワクワクするような論が展開されるのか、もっと聞きたい。もっと、もっと、私はこの映画を噛み砕いて噛み砕いて、料理し直したい。

 

だけど、―――面白くなかったのである。ユリイカ

 

あのワクワクする世界を前にして、こんなふうにしか調理できないのだろうか。どれもこれも、つぎはぎを柔らかく焼いただけの論にしか見えない。味がしない。ささやかすぎる。あの映画館をあとにした時の「ああ、この映画についてはやく語りたーーーーーいっ」と思った、あの、ワクワク感が、どこにもない。

つまらない。

 

別にユリイカを批判したい訳ではない。

ただ、私は大学院で文学研究を勉強していて、批評というものに普通よりもちょっと期待と興味を抱いていて、ユリイカも割と好きでよく読んでて、だからこそ。

「批評って、こんなつまらん文章だっけ」と思ってしまった。

 

批評の一番の目的地は、「読みを変えること」にあると思っている。

私は今まで、「ああ、私って全然きちんと読めてなかったのか」と愕然とさせられるような批評にいくつも出会ってきた。「そうか、この作品ってこんなに面白かったのか」と思わざるをえないような批評。―――私はまだこの世界を全く分かっていなかったのだ、と思った時の、あの、絶望と興奮。あの瞬間を読者にもたらすことこそが批評の快楽である。

こんな風に読めるのか。実はこんな物語だったのか。

読みが変わった瞬間、本気で世界が変わったように見える。

批評ができることというのは、作品を通して、読者の見てる世界を変えること、でしかない。

 

だとすれば。シン・ゴジラも、ファンタスティック・ビーストも、あんなにあんなに面白くて、映画館を出た後の世界の色が変わったみたいな興奮に満ちていて、スリルとロマンとサスペンスが詰め込まれていて、あんなにたくさんの人が熱狂していて、そんな作品に対して―――もっともっと批評は、スリリングに、面白くなり得ないのか?

ほかのだれでもない、ただその作品を好きなだけの、ファンにとって。

批評は、批評した作品よりも面白いような作品になり得ないのだろうか?

 

ユリイカに載った批評家による批評の目指す地点は、「面白い」ではないのだろう。たぶん。学術界の評価なのか、自分の尺度なのか、ある種の論理的説得性と新規制なのか。私は全くそのどれらも間違ってると思わない。分かりやすければいいという風潮にも反対だ。分かりやすくなくても、新規性と説得力さえあればいい。論文というのはそういうものだからだ。

だけど同時に、それは批評単体として見た評価でしかない。一歩引いてみれば、批評を取り巻く関係性の中に、作品も読者も批評の読者も存在している。

批評は、作品にとって、どんな存在であり得たいのだろうか。

 

そんなことを考えてしまう「ユリイカ」であった。

この疑問に対して一般的な回答はまだ決まっていない(あれば教えて欲しい、ほんとうに。)

でも、私個人はというと、やっぱり例え作者に読まれてもおばあちゃんに読まれても、胸を張れるような「面白い」論文を書きたい。だって私よりずっとずっと大きな存在に手を届かせてもらってるのだ。巨人の肩の上に乗って、世界についてあーだこーだ言わせてもらってるのだ。私ひとりじゃ到底届かないくぼみに、作品を通して出会わせてもらってるのだ。

作品に対して真摯にありたい。それが、せめて批評家にしても読者にしてもファンにしても、その作品に「ワクワクさせてもらった」私の、誠実なあり方だ。 

そしてつまりはそれが世界への真摯さだと思う、のである。

 

追伸:シンゴジラ高橋洋さんの論は唯一ワクワクした。面白かった。